402: 名無しさん@HOME 2008/12/27(土) 19:40:28
十六歳離れた兄と十五歳離れた姉がいるんだが、
この二人が実は自分の実の父と母だと知らされた。
これまで父母だと思っていた人は祖父母。
つまり、俺は実の兄妹の間にできた
この二人が実は自分の実の父と母だと知らされた。
これまで父母だと思っていた人は祖父母。
つまり、俺は実の兄妹の間にできた
不義の子ってことになるんだが、
祖父母が厳格なカトリックだったため、
おろさせずに自分の子として育てたそうだ。
知らなきゃ良かったよ…。
続きを読む祖父母が厳格なカトリックだったため、
おろさせずに自分の子として育てたそうだ。
知らなきゃ良かったよ…。
幸せが少しずつ狂い始めた原因は兄嫁だった。何かにつけて私に嫌みを言い、弟嫁までその影響で私を攻撃するように・・・
152: 名無しさん@HOME 2015/01/07(水) 14:14:22.84
お正月に姪と甥が遊びに来てちょっとジーンと
来たので書かせてください。
10数年前の話なのでいろいろ記憶が
曖昧な部分があったり
辻褄が合わない部分があるかも知れませんが
ご容赦ください。
長いです。ごめんなさい。
私は関西出身で、父、母、兄、私、弟の5人家族、
男ばっかりの3人兄弟です。
阪神大震災で、自宅は潰れなかったものの
あちこちガタがきては
その都度部分的に修理していました。
そんな折、私が宝くじに当たり
来たので書かせてください。
10数年前の話なのでいろいろ記憶が
曖昧な部分があったり
辻褄が合わない部分があるかも知れませんが
ご容赦ください。
長いです。ごめんなさい。
私は関西出身で、父、母、兄、私、弟の5人家族、
男ばっかりの3人兄弟です。
阪神大震災で、自宅は潰れなかったものの
あちこちガタがきては
その都度部分的に修理していました。
そんな折、私が宝くじに当たり
(年末ジャンボの1等前後賞の前賞)、
いっそのこと上物を建て替えようか、
という話になったんですが
兄が東京の会社へ就職、弟は京都の大学へ
進学することになり、
二人が家を出ることになりました。
両親と私の3人で暮らすのに
上物建て替えるのもどうだろう?
ならいっそのことマンションでも買って
3人で住むか?
ということになり、土地を売って兄弟3人に
生前贈与されました。
税金等々引かれて600万ずつくらいの分与に
なったと記憶しています。
そのお金と宝くじの当選金でマンションを
購入しました。私名義で。
両親は私のマンションで一緒に暮らすこととなりました。
続きを読むいっそのこと上物を建て替えようか、
という話になったんですが
兄が東京の会社へ就職、弟は京都の大学へ
進学することになり、
二人が家を出ることになりました。
両親と私の3人で暮らすのに
上物建て替えるのもどうだろう?
ならいっそのことマンションでも買って
3人で住むか?
ということになり、土地を売って兄弟3人に
生前贈与されました。
税金等々引かれて600万ずつくらいの分与に
なったと記憶しています。
そのお金と宝くじの当選金でマンションを
購入しました。私名義で。
両親は私のマンションで一緒に暮らすこととなりました。
25年前、家族四人で車で帰省した帰りに、見晴らしのいい山の上の展望台で小休憩した。もう日が暮れかかっていて誰もいなくて、兄と二人で遊具で遊んだ。父が「そろそろ行くぞ」と言
-
- カテゴリ:
- その他
531: 名無しさん@HOME 2014/07/24(木) 09:44:02.74 0
25年前、家族四人で車で帰省した帰りに
見晴らしのいい山の上の展望台で小休憩した
もう日が暮れかかっていて誰もいなくて、兄と二人で遊具で遊んだ
父が「そろそろ行くぞ」と言って、駐車所に戻りながら服をゴソゴソ
次第に顔色が悪くなっていく父
母が車を覗き込み「お父さん・・・・」と言ったきり絶句
父は車に鍵を閉じ込めていた
展望台は、自販機と東屋、遊具があるだけで無人で、公衆電話も無かった
当時、親は携帯を持っていなかった
ちなみに1月上旬だった
通りかかる車を待ったけど、数時間たっても車は通らず
屋根のない東屋で朝まで待つには、真冬の山頂は厳しすぎた
で、父が車の窓を割って鍵を開けた
山を下りてすぐの店でガムテと透明なごみ袋で窓をふさいで家に帰った
子供だった俺には、ずっと無言の母と、気まずくてしゃべりっぱなしの両親の間の空気が怖くて
このまま離婚したらどうしようと泣きそうだった
見晴らしのいい山の上の展望台で小休憩した
もう日が暮れかかっていて誰もいなくて、兄と二人で遊具で遊んだ
父が「そろそろ行くぞ」と言って、駐車所に戻りながら服をゴソゴソ
次第に顔色が悪くなっていく父
母が車を覗き込み「お父さん・・・・」と言ったきり絶句
父は車に鍵を閉じ込めていた
展望台は、自販機と東屋、遊具があるだけで無人で、公衆電話も無かった
当時、親は携帯を持っていなかった
ちなみに1月上旬だった
通りかかる車を待ったけど、数時間たっても車は通らず
屋根のない東屋で朝まで待つには、真冬の山頂は厳しすぎた
で、父が車の窓を割って鍵を開けた
山を下りてすぐの店でガムテと透明なごみ袋で窓をふさいで家に帰った
子供だった俺には、ずっと無言の母と、気まずくてしゃべりっぱなしの両親の間の空気が怖くて
このまま離婚したらどうしようと泣きそうだった
続きを読む