きまぐれ鬼女-鬼女・不倫・浮気・修羅場系まとめ

当サイト[きまぐれ鬼女]は、鬼女・修羅場・キチママ系などの日常生活に関する2chの面白い話をまとめた鬼女系2chまとめです。

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494 :きまぐれ鬼女 2015/01/09(金) 06:35:55 ID:sL3
某国でトラックのタイヤが外れて路肩に車を止めていた女忄生にタイヤが激突…と言うニュースを見て思い出した

自分が中学生の頃、父が運転する車で首都高を走っていた
普段は母が助手席のため兄弟で後部座席に座るんだけど、その日は父と二人きり
珍しく助手席に座っていた

もうすぐ降りる場所だなーなんて話をしていたら、外からカランカランカラン…と言う断続的な金属音がする
何だ?どこからするんだろう?と父と話しながら、自分は窓外をきょろきょろ
隣の車線で近くを走っていた古いトラック(泥とかついてたのでそう思ったけど実際古かったかは定かではない)が発生源っぽい…と気づいた
父も
「なんか怖いな、少し離れるか…」
と言うので少し離れることに(真後ろや真横はやめておこうとか話した気がする)
そして隣の車線で車にして数台分あいた斜め後ろ側になった時に
ガコン!
と音がして、カランカランと言う音が消えた
と思ったら、目の前にトラックから外れたタイヤがぐいーんと自分たちのいる車線に突っ込んできた
「うわああ、タイヤって外れるんだやばい、お父さん避けて!」
「うわああ」
慌てて車線変更したけど、タイヤって壁に激突しても止まらずにピンボールみたいにバウンドしてまた車線に入ってくるんだね

そこは止まれよ!はじっこで倒れろよ!
と思いながら車線を斜めに横切ったりするタイヤを無事に避けて、なんとか生還した
事故の情報は聞いていないので、その後事故は起きてないとは思うけど…今でもふと思い出して怖くなる
あれから何年も経って車を運転するようになったけど、今でもトラックの近くは怖いから近寄らないようにしてる
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270 :きまぐれ鬼女 2008/08/30(土) 05:01:05 0
私の父が危篤の時、それを連絡している最中に居眠りこいた旦那。
旦那の祖父が泣くなって葬式の時に一番後ろの席で居眠りこいてやった。
義実家連中にものすごく責められたけど
「え?夫さん、私の父が危篤の時に居眠りしてたんで
それがこの家の家風なのかと思って見習っただけですけど何かマズかったですか?」
と心底驚いて見せた。
物凄い出来が良くて自慢の息子なんですよね?
この家の家長なんですよね?
その家長を見習ったんですが、ダメなんですか?へー
とご近所も集まっている中でKY発言。
旦那は顔を真っ赤にしてトイレに逃亡したんでトイレの中にいても聞こえるように大声で
「前に署名捺印してた離婚届、出しといたからー。んじゃ」
と一声かけて退場。バーカ
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360 :きまぐれ鬼女 2014/07/31(木) 14:55:41 ID:wmPTdTaRu
復讐というより因果応報的なお話

私と兄と姉は幼い頃、父から虐侍を受けてた
毆られるなんてあたりまえ、姉はストーブの上に乗せられたり私は熱湯をかけられたり
兄は鼻が折れるほど毆られたりしてた。母親はかばってくれた。母の体も痣だらけだった
父親が働かないので母が夜のお仕事をして私たち兄弟を支えてくれた。
当時給料は日払いか手渡しの時代だったのでお金が入ると母親から無理やりとり
ギャンブルをしてすべて使ってしまうので母親は家のいろんなところに隠してた
お金の場所がわからないと父はイラつき私たちにあたり散らしありかを知らされていた
兄にお金の隠し場所はどこだといって毆りまくってた。兄は絶対に口を割らなかった
母親は離婚を考えていたが、兄や姉が苗字が変わってしまい、転校するのはツライと
母親に伝えていたので母はためらっていた。
ある日、兄の担任の先生がきて兄の様子がおかしいと言われて、母は家での事情をすべて話した
子供の環境を考えると離婚を視野に入れたほうがいいのではと話され、転校するなら
転校先の学校に根回してツライ思いをさせないようにするからと担任に説得されたそうだ
それからしばらくして父親が闇金にお金を借りて払えないので母と私たちを置いて逃げた
当時、弁護士とかそういうのは当たり前じゃなかったので払う義務がないはずなのに
母が払うことになった。
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485 :きまぐれ鬼女 2017/03/16(木) 13:41:58 ID:4ya
かなり長いです すみません
1/2
今から13年前私が小学3年生の時の話
冬休み明けで午前で学校が終わって正午くらいに帰宅すると母親が家の中で倒れていたのが人生最大の修羅場
倒れる直前まで抱っこしていたであろう妹(生後4か月)は床に転がってひたすら泣いて声が枯れていた
今思えばこの大泣きが原因で妹は今でもハスキーボイスなのかも
とりあえず妹にミルクをあげて母親に状況を聞くと、午前10時くらいから倒れていたらしい
救急車を呼ぼう、父親に連絡しよう、(母方)祖母に連絡しよう、近所の友達の家に連絡しよう、何を言っても母親は大丈夫しか言わなかった
床でずっと倒れさせているわけにもいかないから、170cmの全身に力の入ってない母親を引きずりながらおんぶしてベッドにどうにか運んだ
途中すべって母親をずり落しちゃってストーブに思い切り頭ぶつけちゃった
そういえば午後から友達と遊ぶ約束していて迎えに来られちゃったけどその時はどうにか断った気がする
妹は寝て静かになったけど母親は頭が痛いって言ってて、どう見ても寝てれば治るタイプの頭痛じゃない
本当は救急車を呼びたかったけど母親が大丈夫っていうからとりあえず父親と祖母に(これも止められたけど無視して)連絡した
トラック運転手だった父親と、同じ市だけどバス2本乗り継がなきゃいけない祖母のどっちが最初に来たか覚えてないwww
まあどちらかが来て救急車呼んで搬送されたのは夕方になっていたのは覚えている
母親は33歳で脳梗塞になった 処置が遅れたことが原因でかなり重度の左半身マヒが残った

私が独断で救急車を呼んでいればマヒはもっと軽く済んだ 私が何もできなかったから障碍が残った
間はしょるけど母親の介護やトラブルの後始末等を私が自分を犠牲にしてやり続けるのは私なりの罪滅ぼし
苦しいし楽じゃないし何度も投げ出したいと思ったけど母親がタヒぬまで私の心の修羅場は消えない

搬送された母親について行ったかとか次の日の学校はどうしたかとか何故だか思い出せないのが今書き込んでてわかったwww
友達の家族がお昼ご飯代金をくれてコンビニの冷やし中華を食べたのは覚えているけど、倒れていたその日友達と遊ぶことは断ったはず
全然食欲がなくてちょっと食べては落ち込んでっていうのを繰り返したのも覚えている
いつ食べたんだろう
搬送された次の日からは祖母が家のことをしてくれた気がする
スナックのキッチンで働いていたからどうにか両立していたのかな
母親のお見舞いに初めて行ったのはいつだっけ
泣きそうな震えた声だけどでも心配させないように私が不安にならないように笑いながら「動かなくなっちゃった」って言っていたのは
ちゃんと覚えている 私と祖母はどうにか泣かないようにして母親と同じく笑って頷くことしかできなかった
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172 :きまぐれ鬼女 2007/01/28(日) 01:26:33 0
長文の上、スレチだったらスマソ
親に不イ侖されたというか、自分がその親の不イ侖の片棒担いでたような立場だった。

すべてが発覚するまでは、会社員の父・専業主婦の母・俺という平凡な家族構成のも
と普通に生活をしていた。その筈だった。
高校生の時、電話口で父が何やら楺めている所を見つけた。
何かあったのか、ときいても要領を得ない返事で誤魔化されるだけ。
そんな事が数回あった後、たまたま俺がひとりで留守番していた時に郵便が届いた。
差出人を見ると、父が時々電話で口にしていた人らしき名前。
いけないと思いつつも、ここ数日の事もあったので、つい好奇心から中を覗くと、父の
名前でそこの住所にあてた現金書留が、封も切らずに送り返されていた。
金額欄を見ると、大金とまではいかないが結構な額が。
「ココ最近の電話といい、一体どういう事だ。この(送り返してきた)人は、ウチと何
の関係があるんだ」とキツい口調で尋ねると、父は黙り込み、母は泣き出した。
静まり返った空気の中、やがて父が話してくれたのは、想像もつかないものだった。
かつて、父には別に家庭があって、母と一緒になる為に彼らを捨てた(かなり強引に離
婚した)事。その際、母のお腹の中には俺がいた事。
つまり、俺がいた所為で、父のかつての妻子は捨てられた事になるのだ。
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962 :きまぐれ鬼女 2010/09/06(月) 12:50:07 ID:RZpWblsE
私は学生なのですが、相手がママなのでこちらに投下します。
改行読みにくかったらごめんなさい

先日、向かいの家で同居し始めたセコケチママAが我が家のウサギをクレクレしにきた。

A「うちの子が私さんちのウサギを欲しがっている。ウサギの小屋ごとよこせ!餌代は私さん持ちにしてやる!」
A「あのウサギは毛皮が高く売れる。
私さんちはそのお金を独り占めしようとしている!ずるい!」
とテンプレのように喚くAの対応をしたのは、運良く?昼間から酔っ払った父。
父はAを仏間に通し、「あんたに何か良くないものがついている」とお経をとなえ、その後はAの話を無視してマイブームの韩流ドラマについてのマシンガントークをはじめたwww
父は見た目がヤのつくお仕事に見えるし、
壁には刃物(大工道具)が吊るしてあるので、父が話している間、Aは大人しかった。
しかし、話が落ち着くとまたウサギクレクレをするので、またお経を唱える羽目にwww
日がくれた頃に、Aが発狂し家を飛び出し、庭のウサギ小屋ごと持って帰ろうとしているところにA姑が騒ぎを聞きつけて登場。
Aは姑にグーで毆られ、強制的土下座。
その日の晩にA旦那が謝罪にきて、「もうしません!」と土下座したので、
一件落着かと思っていたのですが……

A自身はまったく反省しておらず、
後日、私と近所の子が部屋でウサギと遊んでいる時に凸してきた。
無理やり持って帰ろうとウサギを抱っこしたが、ウサギが暴れたため、爪でAの腕を深く切り大出血。
ふじこりながら姑に病院につれていかれた。
その夜、A旦那と姑とA母が謝罪にきて、Aとは離婚し、AはA父が実家に連れて帰ったことを話してくれた。

それからAの凸もなく、本当に解決したようなので、記念に書き込んでみました。
以上です。
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853 :きまぐれ鬼女 2013/08/24(土) 00:11:08 I
誰にも話せない私の最大の修羅場。

母との激しい夫婦喧嘩の果てに、夜中に父が農薬を一気飲みして自杀殳未遂を謀った。

夜たまたまトイレに起きた私が、何故かトイレ近くの仏間の隅に転がっていた父の「救急車を呼んでくれ…」「農薬を…飲んだ…」と言う小さな声に気付き、
その尋常じゃない様子に慌てて119番通報。
父が夜中に何故そのような場所にいたかと言うと、激昂していた母とは同じ寝室では眠れないと思った父が
自主的にトイレ近くの仏間に布団を敷いて一人で寝ようとしていたそうだ。

そもそもその自杀殳未遂の動機となった夫婦喧嘩自体、私から見ても明らかに父に非があったので、
「喧嘩」と言うより激昂した母が父を一方的に詰るような状態だった。
後日わかった事だが、どうやら父はその母からの無限説教から抜け出す為、たまたま手近にあった農薬を一思いに呷ったらしい。
体調が悪くなれば心配してくれて母のお説教も少しは収まるだろう!(ピコーン!)と言ったようなほんの軽い気持ちだったようだが、
体調不良どころか一時は意識不明の重体に陥った上、今でも重い障碍が残ってしまった事を見るにつけ、子供のような浅はかな言動に身内ながら心底呆れた。

私が119番通報した時、母は風呂上りでドライヤーを掛けていた。
母に、父に請われて救急車を呼んだ旨を伝えると、ただでさえ激昂していた母は更に激怒。
「あの男は私たちにどれだけ迷惑をかければ気が済むのよ!!」と完全にブチ切れてしまい、夜中駆け付けてくれた救急隊員も全て無視。
それどころか仏間に届くような大声で洗面所から父を罵りながら髪を乾かし続けていた。
母は結局父及び救急隊員を無視したまま、私だけが救急車に同乗した。

季節は冬。
仏間に暖房器具はなく、母への引け目から寝室に寝具を取りに行く事すら躊躇したらしい父は薄い肌掛けのような布団一枚と折った座布団だけで寒さに震えながら寝ているところを発見された。
そして枕元に転がっている農薬らしき液体を瓶から一気飲みした様子の父。
倒れ込む父に鞭打つように大声で罵詈雑言を浴びせ続ける母。
…どうやらこの一連の様子を救急隊員が訝しみ警察に通報したらしく、翌日母が杀殳人未遂の容疑?で任意同行された事の方が私にとっては修羅場だった。
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72 :きまぐれ鬼女 2013/06/16(日) 09:26:05 0
私が18歳の頃、父親の様子が明らかにおかしかった。
夜は寝ないし目は虚ろで、一緒の家の中で生活しているのに、母に対してス㋣ーカー行為。
気に入らない事があれば、毆る蹴るのDⅤが始まる。
私は、その光景を妹達に見せないように外へ連れ出すのに必タヒだった。
これが2・3ヵ月に1回のペースなら、まだ誤魔化せたかもしれないが、殆ど毎日続き精神的に参っていた。

そんな時、父の豹変の理由が判明した。
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368 :きまぐれ鬼女 2013/06/16(日) 09:31:01 0
吐き出したくなったので場所借ります
小学3年の時父が前方不注意の車に撥ねられた
前頭葉の脳挫傷で、救急で運ばれた病院以降いくつかの
病院でリハビリを受けて1年半後、
家に帰って来た父は事故前とは別人の様だった、

手足はリハビリ後はそこそこ動く様になったが、
体幹がバランス取れない為歩く事が出来ない車椅子生活
しかし本人は自分が立って居られない事がきちんと理解出来なくて
トイレに行きたくなったりすると立ち上がって転ぶ
行動は幼児の様だった、石鹸を食べたり、醤油を飲んだり
転倒と合わせて意図しない自傷のようになってしまう
言動は言葉は出るが、問い掛けに対して関係ない答えが返って来る
感情が抑制出来なく、すぐに癇癪を起こす、
怒ってる理由が相手に伝える事が出来ないため更に癇癪

悪いのはCDの入れ替えに注意が行って赤信号無視で横断歩道
に突っ込んだ運転者なのは判ってても、目の前に居るのは
変わってしまった父だった
老人でもない、幼児でも無い40になったばかりの男忄生が癇癪
を起して物に当たったり投げたりする
父は結局事故から9年後膵臓癌で亡くなった
不謹慎だが当時の俺はほっとした
父が亡くなって安堵した事なんて母は勿論誰にも言えない

たまにその頃の事を思い出して不眠がやってくる
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193 :きまぐれ鬼女 2013/08/20(火) 01:27:25 0
多分人生の中でこれ以上の修羅場はもうなさそう
&20年以上時間が経ったのでカキコ
数回に分けて書きます

まだ私が小学校に入学したてだった頃の話
アル中だった父(私には優しく手をあげられた事は無かった)と母はよく喧嘩をしていた
理由はよく覚えていない

ある日我慢の限界が来たのであろう母が
祖父に先立たれた祖母が1人暮らししている実家に帰った
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