きまぐれ鬼女-鬼女・不倫・浮気・修羅場系まとめ

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825: 名無しさん@おーぷん 2017/01/24(火)09:54:36 ID:1U4
数年前から実父の介護をしてる。末期の肺がん。
抜いても抜いても水が溜まってきちゃうような状態だから、恐らく長くても来年の年越しは無理だろうと言われてる。
父は「治療はもういいから出来るだけ苦しくないようにしてもらいたいなぁ。」なんて言ってたけどふざけるな。
だれがお前を楽にシなせてやるもんか。

私や妹や母をあれだけ苦しめたんだから、お前も苦しんで苦しんで目も当てられない姿になってからシね。
その姿を1番近くの特等席で見て笑ってやる為にわざわざお前の介護なんて事を引き受けてやってるんだから。
って言ったら驚いた顔してやがった。
「家族だから全て水に流して許してくれてる、だから介護を受けてくれたんだ。」とでも考えてたんだろうけど冗談じゃないわ。
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500:名無しさん@おーぷん2015/12/22(火)20:08:22 ID:uMx
母が弟を捨てる所を目の前で見たのが修羅場
滅茶苦茶長文なので嫌いな方スルーして下さい

私には1歳下の弟がいる(仮名・ゆうすけとします)
小さい頃私達一家(父母私弟)は父方の祖父母と同居していた
よくある話だけど祖母は母と折り合いが悪く、その息子である父も自分の母親言いなりだったようだ
祖父は非常に無口な人ではっきり言って空気だった

祖母と父は、弟を異様に可愛がって…というか甘やかしていた
姉の私とははっきり差別があった
弟だけ決められた時以外でもオヤツを食べて良かったし
嫌いな食べ物を残しても、オモチャを散らかしても怒られない
5歳の弟が花瓶を投げて割った時も、一緒に遊んでいた私が叱られる有様だった

母は子供ふたりには分け隔てなくしっかり躾けようとしていた
別にヒステリックなやり方じゃなくて「ご飯前にオヤツは禁止」「遊んだオモチャはすぐ片付ける」とかごく当たり前の躾けだったと思う
けどそれを祖母や父が
「お母さん怒ってばっかりで怖いねー」「ゆうちゃん、オヤツ好きだもんねー」
とか言って甘やかし続けてたのは良く覚えてる
正直当時は好き勝手やってもかばってもらえる弟が羨ましかったりもした
母は随分努力した(と思う)けど、母親VS父親&祖母の1体2じゃ勝ち目はなかった
今思えば嫁いびりの一環でもあったんだと思う

結果、弟は小学校に上がる頃にははっきり言ってかなりの糞ガキになっていた
食卓に自分の気に入らない料理が出ると食べないだけでなく、箸やフォークでグチャグチャにする
どこかで「ババァ」と「ブス」という言葉を覚えて母と私を呼ぶのに使う
母を「ババァ」と呼んで怒られると「鬼ババァが怒った♪鬼ババァが怒った~♪ばぁちゃ~ん」と祖母の所へ駆け込んでいく
自分が散らかした子供部屋(私と弟の共有)を「ブス!片付けとけよ!」と私に命じて遊びに出かける
私の当時の宝物(お菓子のおまけのシール)を盗んで親には「お姉ちゃんがくれた」と嘘をつく
母は「お姉ちゃんに返しなさい」と怒ったけど、祖母や父は「お姉ちゃんがあげたんだろ?取り返すなんて意地悪」と私を叱った
結局宝物は返って来なかった
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20: 本当にあった怖い名無し@\(^o^)/: 2014/09/23(火) 05:17:45.69 ID:VuMMQf2a0.net
宗教に嵌った父親への復讐

私の父親は宗教にどっぷりはまっていた。1にも2にもまず宗教。
私も生まれた頃から入信させられ、お守りみたいなのを持たされてずっと身につけているように言われた。
礼拝堂っていうのか、宗教している人が集まってお祈りしている場所。そこにも頻繁に連れて行かれてた。
小さい頃は理解が及ばず言いなりだったが、5歳くらいになると皆と違うことしている自分が認識できてくる。  

何より、神様神様と父親が言う割に、父親が毎日祈りをささげる神棚に神のかの字も見いだせなかった。
6歳あたりから酷く抵抗するようになり、同時に父親の暴カはじまった。抵抗すれば呼吸ができなくなるほど叩きのめされた。
宗教に関すること以外は子どもに感心を持たず、父親と遊びに行ったりだとか、参観日に来てくれたりだとか、運動会に来てくれたりだとか、そういった記憶が一切ない。
医者で急患があると家にすら帰れない母親の代わりに食事を用意してもらった記憶もなかった。
3日ほど帰ってこなかった母親の代わりに父親がしてくれたことは、「女なんだから家事やっとけよ」という言葉を投げつけただけだった。
父親は外面が良く、人様のためならなんでもする人だった。それが宗教の教えだから。
だから母親が家に居なくても、小1の私を置いてボランティア活動に日々精を出しては人々に感謝されていた。
ご近所から、「あなたのお父さんって素晴らしい人ね」と言われるのが苦痛だった。だから家出した。歩いて1時間くらいの母方の実家に一人で行って、ずっとじいちゃんばあちゃんに甘えてたと思う。
そのままじいちゃんばあちゃんの家に転がり込んで2年がたち、私は小3になった。
その頃になると、母親がこのままではダメだと思って、仕事を辞めてきた。すぐやめろっていう人もいるかもしれないが、当時は若い医者一人抜けることはそう簡単じゃなかったらしい。
そしたら父親、母親に対して「俺は平凡な平社員だ。お前が働いたほうが金になる。そこでどうだ、俺が仕事をやめて神様につかえて徳を積む。家族の分も積んでやる、皆幸せになれるぞ」と宣った。
母親ブチ切れて離婚届をつきだしたそうだ。それからは表向きそんな世迷い事は言わなくなった。
母親が家にいるようになってからは普通の小学生と同じように育ったと思う。土日に礼拝堂に連れて行かれることもなかった。
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【前編】幼い頃母が病気で他界。父子家庭だった。俺が小6の時、唐突に父親が言った「家族がひとり増えると思う」。数日後女の子を連れて帰ってきた「今日からお前の姉さんになる…」
299: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/02/17(木) 23:27:45.46 ID:5QGQ8nL/0
父親がタヒんだ時に姉が言ったあの言葉

「高校卒業するまでは見守りたいんだけどだめかな?」
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1: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/02/16(水) 22:26:23.81 ID:7Ht4TH3Q0
色々とあったけど気持ちの整理がついたのでちょっと書いてみようかと思う
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690: :2010/04/09(金) 02:09:33 ID:
昔、父と一緒によく行ったあんみつ屋。
あんみつ屋のおばさんはキレイで優しかった。
父は私以外(母姉)は絶対に、その店へは連れて行かなかった。
多分、母姉は店の存在すら知らない。
数年前に父が亡くなった時に、誰にも分からないように
あんみつ屋のおばさんと父の亡きがらを対面させた。
泣きながら何度もありがとうと言っていたな
最近、彼女が亡くなったと風の便りに聞き、
永代供養されている寺院を訪ねた数日後に弁護士から連絡があり、
あんみつ屋やら私財を処分して残った幾許かの遺産を頂いた。

父の遺産は実母と姉が山分け。
実母とは不仲で姉とも疎遠な自分にとっては天の恵み。
弁護士さんが、ご希望でしたら事次第を全てお話する用意もあります、
て云うけど何も聞かなかった。
これに全てを記してあります、と封書をもらったけど、
この封書こそ、開けずに墓場まで持っていこうと決めた。
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※未解決ですm(_ _)m
100: :2017/04/24(月) 18:13:50.70 ID:

旦那に証拠つかまれて訴えられた。彼と私を正座させて、父親からはり倒されたわ。旦那はただ見てるだけ。
父親によると家にもどることは許さない。野垂れタヒにしても墓には入れない。産まれてこなかったとみなす。旦那には父親が慰謝料はらうからそのかわり消えろということらしい。
子供は父親母親が育てるようだ。明日からホテルは父親が予約して今月末までは住むところがあるが来月からはどうしようか?
人生詰んだ。働いたことないからどうやっていきていこうかな。。
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770 : 名無しさん@おーぷん 2016/01/26(火)15:30:27 ID:M6s
抜きうちで実家に帰ったら、知らん女が母の服を着てテレビ見てた時。

進学で県外へ行き、過酷なほどに多忙な職種に就いて、恥ずかしながら何年も実家に帰ってなかった。
盆も正月も帰らずたまに電話するのみ。電話はたいてい父が出て、
「変わりない」と報告だけして切る。
母に替わってもらうことはまずない。
たまたま出張で故郷の県に行く用があり、半日ほど余裕ができたので実家に寄ることにした。
一応電話したが誰も出なかったのでそのまま向かった。
鍵は持ってるので勝手に入った。この時点で何か家が臭いとは思っていた。
居間をガラっと開けて「ただいまー」と言ったら、
母の服を着た知らん女がこっちを「え?」って顔で見た。
俺も「え?」と声を発した。母より10歳くらい若い中年のデブ女。まったく知らん顔。
くつろいでジュース飲みながら昼ドラ見てた。
女が「ギャー!」と言い出したので「あれ?ここ俺んちだよな?」とパニック。
しかし家具は間違いなく俺んちだし、間取りもうちの物。何より女が着てる服に見覚えがある。
「泥棒」とか言われたが
「俺はここんちの息子だ!お前こそ誰だ!」と怒鳴ったらピタっと黙った。  
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932:2011/12/21(水) 22:59:33.60 0
私は生まれてすぐ敗血症になり、新生児期は何度も生タヒの境を彷徨ったそう。
本当にもうダメかも・・と身近な親戚が呼ばれること数度、でもなんとか生き延びた。
「このヤマさえ越えれば・・」と言われていた時期を乗り越え、容態が安定し、
医者から「もう大丈夫です!」と言われた時。両親や親類の喝采の中、父の母は

「命根性の汚い子ねえ。本当にもう大丈夫なの?私もうすぐ同窓会があるのよ。
行けない理由が孫の葬式だなんて、なんだか年寄りくさくて人に言えないわ」

と言い放ち、両親と絶縁になった。
余談ですが、私はこの話を高校時代になるまで知らず、父の母は
「ひどい事故を偶然目撃してしまい精神を病んでしまった。だから会えない。
事情が事情なので、父方に祖母がいるとか、人に話したりもしないように」
と聞いていました。

高校の頃、父の母が大病し、連絡が入る。ここで初めて真実を知り私はパニックに・・。
父の姉が連絡をしてきたが(ちなみに、父に姉がいたことも知らなかった・・)、
要は過去を水に流して地元に戻り介護をして欲しいという話だった。
両親は当然突っぱねたが、父の姉はしつこかった。
果ては、親がやらないなら孫(私)がやるべき、父実家に住んで大学もそこから通え、
とまで言い出したらしい。自分は足が悪くて無理!の一点張りだった。

ついに電話で父の母と直接対決することにした両親。
私は自室にいたんだけど、父のすごい怒鳴り声が聞こえてきてびびっていた。
私の名前が何度も聞こえてきたのでついリビングに向かってしまったんだけど、
母が泣きながら
「命根性の汚いババアね!もうタヒんで!タヒになさいよ!今すぐタヒんで!!」
などと叫んでいて心臓止まるかと思った。
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5:名無しさん@HOME2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN 0
話題が流行りネタ過ぎて釣りだと思われるかもしれないだろうけど実話です。
うちの父は高校時代いじめにあっていたようでそれが結構なトラウマになっている。
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