きまぐれ鬼女-鬼女・不倫・浮気・修羅場系まとめ

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138 :きまぐれ鬼女 2013/01/31(木) 15:15:09 0
数十年前の話、私の家族は元は父・母・兄・私・妹の5人家族だった。
ただ、この父が妹の7才の誕生日前日にプリンが妊娠したから母と離婚するわ、と
俺が稼いだ金だから俺が持っていくと現金・貯金の入った通帳を一切持って行って去った。
母と私は突然の出来事にただ茫然とし、兄は出て行った父を追いかけ毆りかかり
逆に毆り返され、泣きながら帰ってきた。
妹は、翌日の誕生日に遊園地に連れてって貰えるのを楽しみにしていて、前日から
明日は○○(その遊園地のキャラクター)に会えるね!ってはしゃいでたのに…。
父が出て行ったドアに向かって、なんでどうして行かないでお父さん!と廊下で
座り込んで妹はずっと泣いていた。

この時、兄は15、私は10、妹は6才、成長期の私たちはいるし学校もあるし、
日々の生活もあるし…とにかくお金をどうにかしなくてはと正気に戻った母は、
まずは金策に走った。
母は父に、子ども達のお金だけはどうにか出して貰えないだろうかと接触しようと
したらしいのだけど、居場所すらわからない、父方の祖父母もどうなって
いるのかわからない、全くのお手上げ状態。
プリンも誰なのかもわからない、母は専業主婦だったので父がお金を持ち出したら
個人的に持っているお金もあまり無く、調べる事も出来ない、完全にお手上げ状態。
家を売ろうにも、名義が父になっていた為売れない。
家に居続ける事も出来たんだろうけど、母は母方の親戚から借りたお金で
安いアパートに引っ越した。
後に、父方の祖母から家を明け渡すように言われていた事を知った。詳細は知らない。

引っ越したその日、遅ればせながら妹の誕生日ケーキを買って祝ったのを覚えてる。
母はろうそくに灯した火を見つめながら、「お母さんこれから頑張るね。」と言った。
頑張るねと言ってくれてるのに、私は不安で怖くて「これからどう頑張るの?」と聞いた。
その時兄が、「大丈夫、俺も頑張るから。」と言った。
まだ荷物をバラしてない段ボールに囲まれながら、泣きながら食べたケーキの味は
二度と忘れないと思う、特に妹にとって忘れられない誕生日ケーキだったと。
本当にこの時が人生で一番の修羅場だったと思う。
今みたいに、ネットで情報検索とかできる時代じゃなかったし、ほぼ泣き寝入り状態だった。
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29 :きまぐれ鬼女 2021/07/29(木) 12:49:23 0.net
母がもしもの時にと俺名義でお年玉やらバイト代の一部やら中学の頃からずっと貯金してくれていた
社会人になってからも俺はついつい使ってしまうタイプだから母に毎月お金を渡していて
中学から15年間だからかなりの貯金額になっているはずで結婚を機にこれからは自分でねと
通帳と印鑑、カードを渡され確認したら貯金が殆ど無い
愕然として母に詰め寄ったら母も卒倒する勢いだったし、まったく心当たりはない様子だったから
警察に行こうという話になったらそれまで我関せずな態度だった父が狼狽し使い込んだことをゲロした
仕送りのようなもんだろとか、いずれこの家はお前と兄のものになるんだからチャラだみたいな事言ったりと
反省の様子もなければ何に使ったのか言おうとしないから、通報すると言ったら
親を売るのか恥を知れみたいに喚いたものの、やっと何に使ったのか白状した
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790 :きまぐれ鬼女 2010/09/29(水) 05:23:20 ID:EvbU9eC/O

父は多額の借金を背負わされ、自杀殳に追い込まれてしまった。仕組んだのは仕事の同業者。
葬式の日、偶然それを聞いてしまった。

何ヶ月もかけて復讐に繋がる弱みを探した。当時は学生でバイト漬けの毎日だったので、かなり苦労した。

そいつは結構な頻度でとあるスナック店に行ってた。部下と呑むときも、ひとりの時も必ずその店だった。

派手な化粧を覚えバイトもやめて、すぐその店に面接して働いた。
そいつは私のことを覚えていなかった。とにかく媚びて、私を気に入るように仕向けてたくさん喜ばせた。

ある日、そいつと同業者達が店を貸し切って呑みに来た。そいつの態度を見ると、大事な相手だったのかもしれない。
絶好の時だった。

そいつの酔いがピークの時を狙って、今まで奴が話したことを引き合いに出して激しく罵った。
そいつは怒り狂い、私に馬乗りになって㬥カ。すぐ警察に通報され、連行、逮捕。

診断書を提出し、被害届は受理された。そいつは身柄拘束され調書を取られて送検。
とりあえず士談に応じて、お金の苦しみやその他もろもろを味わってもらった。

周りからは疎外され、どんどんやつれていく様は本当にざまあみろだった。

大事なものを色々と代価にした分、復讐できたことはとても嬉しかった。
だけどむなしい気持ちが、未だにある
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675 :きまぐれ鬼女 2013/02/17(日) 19:51:12 0
修羅場ポイントがいまいちどこかわからないけど、
乗り越えてひと段落ついたので吐き出させてください。


私が8歳の頃から不イ侖相手の家に入り浸りでほとんど帰って来なかった父。
趣味はパチ〇コ、競馬、競輪、競艇、給料は全て使いこみ、
たまに帰ってくると、共働きだった母にも金をせびっていた。

14の冬に、同居祖父(父の父)の家庭内セク八ラに耐えかねた母が
私と弟(8歳)を連れて夜逃げ→別居、
奴はこれ幸いと堂々と不イ侖相手と別の町で同居開始。

祖父はすでに父を見限っていたため、私達の賃貸アパートに通って
戻ってくるように何度も訴えてきたが、父がいない家には戻れないと母が拒絶。

それから10年間、父は養育費を払いたくないがために離婚に応じず、
別居状態が続いた。
自分の戸籍謄本を取るたびに自分の下の欄に増えていく、見知らぬ子供の名前。

【認知】○×
【認知】×△

一銭も金を出さないまま音信不通となった父に構わず、
母は昼夜問わず働き続け、私達姉弟を大学まで行かせてくれた。

私24、弟18で扶養から外れた途端に父は離婚に応じた。
その後はまったく連絡がなく7年を過ごした。

で、私31の冬、私達が出て行った家に一人残された祖父がタヒ去。
別居後も祖父が好きで毎月顔を出していた私は、元内孫として一人、通夜に参列した。
葬儀は近親者のみの家族葬。喪主である父自身が実家を捨てて出て行って、
実の父の交友関係など知るはずがないのだから当然だった。
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500 :きまぐれ鬼女 2013/12/25(水) 04:00:42 ID:qXGrmA7V
親父の葬儀でのこと。
結構昔の話になるんだけど、親父が一年間の入院生活の末に急タヒした。妹の初孫を病室で本当にうれしそうに抱っこした三か月後くらいのことだった。
本当によく出来た親父で、今まで俺と二歳離れの妹のことをずっと男手一つの工場勤めで育ててくれた。
母親(以下ババア)とは俺が小3の頃離婚。原因はババアの不イ侖。
その時に付き合ってた男が「女の子だったら欲しい」とかホザいていたらしく、妹を手籠めにしようとババアが色々画策。
買い物とかでハブられた俺の様子が変だったのと、妹のオモチャやら服やらが異様に多くなったことに気付いた親父がババアに事情を訊ねて、トボけたババアと妹の話が食い違ったことで露見。
親父はババアの両親にやたら気に入られてて、爺ちゃん婆ちゃんも完全に親父の味方だったそうで一人娘だったババアを勘当。
不イ侖した理由は「幸せすぎて刺激が欲しかったから」とかワケのわからん理屈だったらしい。これは従兄弟の叔父さん(ババア血縁)から聞いた話。
ともあれババアは親族全員に責められまくれ、最後に「さっさとくたばっちまえ」だのどっかのロックスターみたいな捨て台詞を吐いてから法廷代わりだった実家を飛び出したとか。
そのあとにババアが妹をどうしても引き取りたいとか言ってきたらしく、親父は妹に「どうしたい?」と聞いた。
まだ小1だった妹はババアのとこに行くのを全力拒否。どうも買い物の時に度々顔ならしに不イ侖相手と会わせてたらしいけど、その相手の男も気に食わなかったしババアの態度も男の前じゃネコ被ったり裏じゃ素っ気なくされたりで大分参ってたとか。
「あの時あのババアのとこ行ってたらアタシ絶対忄生的虐侍受けてたわ・・・」っていうのは妹が高校になってから言ってた台詞。

つづきます
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505 :きまぐれ鬼女 2012/02/10(金) 22:19:20 0
ふと思い出した修羅場。

物心ついた時から、父は娘である私のことが心底どうでもいいようだった。
兄には甘く優しく、誕生日・クリスマス・子供の日などのプレゼントは惜しまなかったし(私には何もなし。お祝いの言葉すらない。)
昔のアルバムを見てても、兄を抱いてたり手を繋いだりしてる写真は山ほどあるのに、私と一緒に写ってる写真はゼロ。
ただ、兄は普通に私のことを妹として可愛がってくれてたし、母も兄と私を平等に扱ってくれてたので当時は特に気にしてなかった。
ここまでが前提。

小学生の頃、私はかなり酷いイジメに遭ってた。
そんなある日の学校で、いじめっ子に階段から突き落とされた上に顔面に思いっきり蹴り入れられて、左足靭帯断裂・前歯2本折れるという自体に見舞われた。
病院に行って、手当てを受けてから家に帰ったときには既に18時ぐらい(だったと思う)で、父・兄は既に家にいた。(母は私と一緒に病院にいた)

いじめっ子に対してカンカンに怒りながら、父と兄に私の怪我の事情を説明する母。
→途端に天を仰いで爆笑する父。
→「たかがいじめで病院とかwww弱すぎだろwwww」
  「顔蹴られた?どうせ汚い顔なんだから別にいいだろwwwどうせなら整形でもしてもらえばwwwww」と笑いながら言われた。
→母・兄ブチ切れ。母は台所にダッシュして包丁を、兄は護身用に部屋に置いてあった金属バットを持ってくる。
→母、父の腹を包丁で刺す。兄、バットで父の肩のあたりをフルスイングを繰り返す。
→母、途中で包丁を落とす。(後で本人に聞いた話によると、人の体を刺す感覚に「ゾワッ」となってしまい最後まで刺せなかったらしい)
→折られた歯と足の痛みを堪えつつ、泣きながら兄を止める私。

その後すぐに母・兄・私で家を出て、私だけ母方の祖母の家に預けられた。
「もしかして母と兄は逮捕されるのか?」とビクビクしてたけど、1~2週間ぐらい?経って(この辺ちょっと記憶が曖昧だけど)二人揃って私を迎えに来てくれた。
それからは二度と父に会ってないし、離れてた間に何があったのかも誰も教えてはくれなかったし私自身も聞こうと思わなかったので
自分の身に起こった修羅場なのに詳しい事情がわかってないのですが、あのときが人生で一番の修羅場でした。
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804 :きまぐれ鬼女 2011/08/22(月) 14:08:29 0
小6の時に母が再婚して、新しい父と弟ができた。
酔うたびに㬥カをふるった実の父と違って、新しい父は優しかったし、
1つ下の弟はおとなしくて人見知りする子だけど、私にはなついてくれた。
とてもうれしかったけど、しだいに弟の目からは光がなくなってオドオドするようになり、
どんどんやつれていって家にいる時は部屋に閉じこもりきりになった。
そして、中2の2学期から学校にも行かなくなって、部屋から全く出てこなくなる。

父はなかなか帰ってこなかったし、私にも塾や部活があったから専業主婦の母が弟の面倒を見てたけど、
「部屋に入れてもらえない」「長い間声を聞いていない」「どうなるんだろうか」と、
弟のことを話すたびに悲しそうにしてて、母にそんな顔をさせる弟が憎かった。

高2の夏、学校で部活の合宿で泊まりこんでたけど、
2日目の昼に忘れものを取りに行ったら、家の中から何かを叩くような大きな音が聞こえる。
弟の部屋方向なので恐る恐る行ってみると、母の怒鳴り声と、獣のような叫び声が聞こえてきて、
ドアを開けると鬼のような形相をした母が、四つん這いでベッドの柱の鎖に首輪で繋がれてたなにかを長い定規で叩いていた。
よく見ると、それは見る影もなく痩せ衰え傷だらけで髪が伸び放題という、幽霊のような弟だった。
あまりの光景に絶句してると、母は私の方を向いていつもの優しい顔でニコニコ話しだしたけど怖くなって突き飛ばして走って逃げた。
気がつくと学校の保健室で寝てて、迎えに来た母を見て錯乱した私が錯乱して話したことから全てが露見した。
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656 :きまぐれ鬼女 2017/01/10(火) 22:30:41 ID:W0d
私は三人兄妹の末っ子で次女。(兄 姉 私)
一年ほど前に兄が姉宅に凸し、ありもしない姉の不イ侖話を姉旦那にぶちまけて修羅場になった。

私たち兄妹は父子家庭だった。私が1歳、姉が3歳、兄が4歳のときに母は他界。
以来男手で育てられたんだけど、父は典型的な男age女sage思考だった。
兄は実際に何でもできる天才肌で姉と私はこれといって秀でたところは無かったから、余計に父は兄と私達を蒫別。
兄の忄生格も歪みまくって、随分と意地悪された。怪我を負わされたこともある。
兄が媚び売れば、黒も白になる。理不尽な仕打ちは慣れっこだった。
成長するにつれて兄は更に威張り散らすクソ男になっていった。姉は家庭環境に耐えられず、家出を繰り返し、ヤンキーに。
私は常に父の顔色を伺う暗い人間になった。友達も出来なかった。今で言う陰キャってやつ。
かなり暗い人間だったが、苛められる事は無かった。
私の後ろには姉の影がチラついていたから。姉にはすごくお世話になった。姉は年がら年中非行を繰り返していたけど、妹である私には優しかった。
姉のおかげで、自分に自信を持てるようになり、少なかったけど友達ができた。少なくとも学校生活が苦しくなる事はなくなった。
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127 :きまぐれ鬼女 2013/03/07(木) 16:41:45 O
流れ切って失礼
長くなったので分けます。読みにくかったらごめん。

私と妹が小学生だったころの話。

ある日、母がいなくなった。
母は当時、趣味とか飲み会とかで家を空けることが多かったから
私達子供からしたら、またどっか行ってんのかーぐらいの認識で
特に疑問に思うこともなく一週間過ごした。

二週間目になって、母が帰ってこないことに関して父から色々問い詰められたけど
どこに行くかもいつ帰って来るかも聞いてない、と言った。
「本当だな?」と念を押され、うんと答えると次の日に警察署へ行くことに決まった。
長い聴取を終え、なんとか捜索願を出した。
その日から父は、「なんかの事件に巻き込まれたんじゃ」とかブツブツ言いながら
テレビにかじりつき、私達には「連絡は?」「繋がんないの?」
「もし繋がったら〇〇って言っといて」と言い付けていた
心配ってよりは躍起になってる感じだったのを覚えてる。
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701 :きまぐれ鬼女 2013/06/28(金) 19:29:44 ID:OXBcMdZ5
私たちを育てるために身体を壊すまで昼夜働いてた尊敬する母親が実は猛毒親と分かった時
小6から主婦してたので日常に困ることはないけど嘘ついて高校中退させたことは恨んでます
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