774 :きまぐれ鬼女 2020/07/17(金) 10:45:28
3.11の震災の時に私は高校1年生だった。
東北のとある地域で私が通ってる学校も避難所になった。
地震があった時、学校にいた私は友達とそのまま学校留まっていて、学校には次々に近所の人が集まって避難して来た。
制服のままで寒かったので、コートと体操着を履こうと思ってロッカーを開けたら体操着もコートもなかった。探したけどどこにもなく、友達のもなくなっていた。
しばらくして気付いたけど、避難して来た人の中にうちの学校の体操着やコートを着てる人がいた。多分ロッカーから取ったんだろうと思った。私も寒かったけど着の身着のまま避難したから寒いんだろうな、こんな時だしと思って何も言わず我慢した。
それからしばらくして、毛布や防寒着やストーブが届いたけど体操着やコートが戻って来る事はなかったし、その後も結局戻って来なかった。
体操着もコートもあと2年使う予定だったし、コートには名前が刺繍もしてあったから、使わなかくなってでいいから取った場所の近くに戻すなり、どこかに置いててくれたらいいのに結局買い直す事になった。
あんな大変な時だったし、今まで誰にも言えなかったけどホントはコートや体操着を取って戻してもくれなかった事にめちゃくちゃ腹が立ってる。
取った人も盗みたくて盗んだ訳じゃないのは分かってるから、ここに吐き捨てて墓場まで持っていく。
東北のとある地域で私が通ってる学校も避難所になった。
地震があった時、学校にいた私は友達とそのまま学校留まっていて、学校には次々に近所の人が集まって避難して来た。
制服のままで寒かったので、コートと体操着を履こうと思ってロッカーを開けたら体操着もコートもなかった。探したけどどこにもなく、友達のもなくなっていた。
しばらくして気付いたけど、避難して来た人の中にうちの学校の体操着やコートを着てる人がいた。多分ロッカーから取ったんだろうと思った。私も寒かったけど着の身着のまま避難したから寒いんだろうな、こんな時だしと思って何も言わず我慢した。
それからしばらくして、毛布や防寒着やストーブが届いたけど体操着やコートが戻って来る事はなかったし、その後も結局戻って来なかった。
体操着もコートもあと2年使う予定だったし、コートには名前が刺繍もしてあったから、使わなかくなってでいいから取った場所の近くに戻すなり、どこかに置いててくれたらいいのに結局買い直す事になった。
あんな大変な時だったし、今まで誰にも言えなかったけどホントはコートや体操着を取って戻してもくれなかった事にめちゃくちゃ腹が立ってる。
取った人も盗みたくて盗んだ訳じゃないのは分かってるから、ここに吐き捨てて墓場まで持っていく。
避難所で。妻が子供に粉ミルクあげていたら「私の子供にも分けてください」の声。支援物資も届かず、命がけで見つけてきた粉ミルク。同調圧力も周囲の視線もきつかったけど・・・
721 :きまぐれ鬼女 2013/09/30(月) 03:55:52 0
非難されるの覚悟して書く
震災時に避難所で妻が子供に粉ミルクをあげてたら、「私の子供にも分けてください」の声
見ればその人は3歳ぐらいの幼児を連れていた
家があれば別だろうが、震災直後はすぐにコンビニに行かない限り、水も食べ物もない
特に赤ちゃんのミルクなんて貴重でまず手に入らない
幸い家は津波にあったものの、家の中が水でかき回されるぐらいですんでいたから
封の切っていない粉ミルクの缶やペットボトルは無事だった
でも俺は断った、その時はどれくらいで国の支援物資が到着するかも不明、届いてもその量は限られるに決まってた
子供にはこういうときこそ栄養を取ってほしいし、余りをほかの人に上げるくらいなら妻に飲んでほしかった
それにその人にあげたら、幼児を抱えたほかの人にもあげなきゃいけなくなってしまう
だが、その場の助け合いの同調圧力がひどくて、移動するまで針のむしろ
その人は何度も来るわ、その度に周囲の視線がきつくなるわ、お節介なおばさんが「少しぐらい…」と横槍入れてくるわ
こっちだって労働力がほしいっていうならいくらでも協力するよ、みんなの、ひいては俺の家族のためになるなら
だけどこの食料って一方的な提供で、誰かが代りのものをくれるわけでもない
余震の中、完全に水が引いていない家で命がけで見つけてきたものでもあるし、
それを簡単に、「こういうときこそ云々」と人の物でいい事しようとする連中に囲まれたのが修羅場
震災時に避難所で妻が子供に粉ミルクをあげてたら、「私の子供にも分けてください」の声
見ればその人は3歳ぐらいの幼児を連れていた
家があれば別だろうが、震災直後はすぐにコンビニに行かない限り、水も食べ物もない
特に赤ちゃんのミルクなんて貴重でまず手に入らない
幸い家は津波にあったものの、家の中が水でかき回されるぐらいですんでいたから
封の切っていない粉ミルクの缶やペットボトルは無事だった
でも俺は断った、その時はどれくらいで国の支援物資が到着するかも不明、届いてもその量は限られるに決まってた
子供にはこういうときこそ栄養を取ってほしいし、余りをほかの人に上げるくらいなら妻に飲んでほしかった
それにその人にあげたら、幼児を抱えたほかの人にもあげなきゃいけなくなってしまう
だが、その場の助け合いの同調圧力がひどくて、移動するまで針のむしろ
その人は何度も来るわ、その度に周囲の視線がきつくなるわ、お節介なおばさんが「少しぐらい…」と横槍入れてくるわ
こっちだって労働力がほしいっていうならいくらでも協力するよ、みんなの、ひいては俺の家族のためになるなら
だけどこの食料って一方的な提供で、誰かが代りのものをくれるわけでもない
余震の中、完全に水が引いていない家で命がけで見つけてきたものでもあるし、
それを簡単に、「こういうときこそ云々」と人の物でいい事しようとする連中に囲まれたのが修羅場